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福島地方裁判所いわき支部 昭和44年(ワ)268号 判決

原告

小松弘

ほか一名

被告

落合工業株式会社

主文

被告は、原告小松弘に対し、一、〇一五、一四〇円、原告小松初枝に対し、八一三、九〇〇円及び右各金員に対する昭和四四年七月二七日から支払ずみに至るまで、年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを二分し、その一を、原告らの連帯負担とし、その一を、被告の負担とする。

この判決は、原告小松弘において、三〇〇、〇〇〇円、原告小松初枝において、二五〇、〇〇〇円の各担保を供するときは、かりに執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告は、原告小松弘に対し、二、六九一、四〇〇円、原告小松初枝に対し、二、三五六、〇〇〇円及び右各金員に対する昭和四四年七月二七日から支払ずみに至るまで、年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、原告らの長男亡小松義弘は、昭和四四年七月二六日午後〇時三五分頃、いわき市小名浜字弁別玉川橋中央付近において、小名浜方向道路右端から横断のため、道路の中央に出たところ、被告の使用人渡辺東吾運転の車輛(ライトバン)に衝突され、約一〇メートル撥ね飛ばされて転倒し、脳内出血により死亡した。

二、被告は、右渡辺東吾運転車輛の所有者で、自動車損害賠償補償法三条のいわゆる「自己のために自動車を運行の用に供する者」として、本件事故について、損害賠償義務を負うものである。

三、原告らは、亡義弘の死亡によりつぎの通り損害を蒙つた。

(1)、亡義弘は、本件事故当時満七才であつたが、本件事故に遭遇しなければ、少なくとも満二〇年に就労し、満六〇年まで稼働しえたものであるところ、最近の労働者平均賃金は一ケ月五〇、〇〇〇円、生活費はその五〇パーセントが相当であるから、月額二五、〇〇〇円の純益を得ることとなるが、これをホフマン式計算方法により、現在の時価に換算すれば、25,000円×12×(25.53-9.82)=4,713,000円となり、同額の損害を蒙つたこととなるが、原告らは、亡義弘の相続人として、右損害賠償債権の二分の一、各二、三五六、五〇〇円を、相続により取得した。

(2)  原告小松弘は、葬祭費として、二三五、四〇〇円、墓碑設置費として、二五〇、〇〇〇円合計四八五、四〇〇円を支出したが、被告から、このうち一五〇、〇〇〇円の支払いを受けたから、三三五、四〇〇円の損害を蒙つた。

(3)  原告らは、事故当時四人の子を有したが、亡義弘は長男で、原告らの将来を託す男子で、満七年の可愛いい盛りであり、本件事故により受けた精神的打撃は計り知れず、その慰藉料としては、各一、五〇〇、〇〇〇円が相当である。

四、そこで、原告小松弘は四、一九一、九〇〇円(四、一九一、四〇〇円は誤算と認める。)原告小松初枝は三、八五六、五〇〇円(三、八五六、〇〇〇円は誤算と認める。)の損害賠償債権を取得したところ、自賠保険から各一、五〇〇、〇〇〇円の交付を受けるので、これを控除し、原告小松弘は二、六九一、四〇〇円、同初枝は二、三五六、〇〇〇円及び本件事故の翌日である昭和四四年七月二七日から支払ずみに至るまで、年五分の割合による金員の支払いを求めるため、本訴に及んだ。

と述べた。〔証拠関係略〕

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

一、請求原因第一項のうち、亡小松義弘が原告らの長男であること、昭和四四年七月二六日午後〇時三五分頃、いわき市小名浜字弁別玉川橋上を、被告従業員渡辺東吾が自動車を運転していたこと、右義弘が死亡したことは認めるが、その余の事実は争う。

二、同第二項のうち、被告が前記自動車の所有者であることは否認し、その余も争う。

三、同第三項のうち、亡義弘が本件事故当時満七才であり、被告が葬儀費用として、一五〇、〇〇〇円の支払いをしていることは認めるが、その余は争う。

四、同第四項は争う。

と述べ、抗弁として、

一、訴外渡辺は、昭和四四年七月二六日午後〇時三〇分頃、前記玉川橋上を、勿来方面から小名浜方面に向け走行していたが、右橋上の自動車の交通量は相当激しかつたところ、小名浜寄り橋端から橋の全長(約一二五メートル)の約三分の一の地点から約二五メートル勿来方面に寄つたところで、対向車の最後尾の大型貨物自動庫の直後から突然、亡義弘が橋の中央に飛び出してくるのを発見し、直ちに急ブレーキを踏んで、できるかぎりの避譲措置をとつたが、ほぼ七メートル滑走し、その後、一八メートルのスリツプ痕を残して停止したけれども、橋の中央線を八〇センチメートル超えた地点で、右渡辺車輛の右前部のライトに衝突させた。

訴外渡辺は、連続してくる対向車が死角となり、亡義弘らを発見することが不可能で、通常かかる交通量の激しい橋の中央付近を人が横切ることはありえず、まして、子供が不法にも左右を確認しないで、車輛の直後から飛び出してくることは考えられず、訴外渡辺には過失がないし、本件事故は、もつぱら亡義弘の過失ある行動に基づくもので、また、自動車にはなんら構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたものである。

二、かりに、訴外渡辺になんらかの過失があつたとしても、亡義弘は、本件事故当時満七才で、充分事理弁識能力は具備しており、交通量の激しい道路でしかも橋の中央部において、道路左側を通行し、進行中の車輛の直後から左右を確認しないで、飛び出したのであり、また、原告らは、通称産業道路とも呼ばれる道路の幅員がさらに狭くなつている交通量の極めて頻繁な橋上に成人の監督者なく通行せしめ、また、本件玉川橋の北側には、道路の下に、トンネルが堀られて、安全な横断の通路があつたのに、それを利用しなかつたことは、被害者側の過失として、損害額について、斟酌されるべきである。

と述べた。〔証拠関係略〕

理由

亡小松義弘が、本件事故当時満七才で、原告らの長男であり、昭和四四年七月二六日午後〇時三五分頃、死亡したこと、訴外渡辺東吾が被告の従業員であり、右日時頃、いわき市小名浜字弁別玉川橋上を、自動車を運転していたこと、被告が原告小松弘に対し、葬儀費用として、一五〇、〇〇〇円を支払つたことは、当事者間に争がない。

そして、〔証拠略〕を綜合すれば、次のような事実を認めることができる。

本件現場はいわき市小名浜から同市泉町下川を経て、同市植田町方面の国道六号線に至るバイパス県道で、小名浜の西方を南流する藤原川に架けられた玉川橋上であつて、右玉川橋は長さ約一二七メートル、幅員六・五五メートルのコンクリート橋で、その両側には、幅約二〇センチメートル、高さ八〇センチメートルの欄干が設けられ、路面は、コンクリート造りの橋板上に、アスフアルトで簡易舗装してあり、橋上部分の見透しはよく、また、その小名浜側川岸には、川沿いに幅員約六メートルの非舗装道路が、本件道路の下を交錯している。

本件道路は、通称弁別街道と呼ばれる交通頻繁な道路で、事故当時、小名浜方面から下川方面に向う交通は多く、下川方面から小名浜方面に向う交通は少なかつた。

亡義弘は、訴外国井孝一、同山田慶一とともに、昆虫採集に行くために、小名浜方面から勿来方面に向けて、本件玉川橋上の左側部分を歩行していたが、小名浜側の橋端から約一〇メートル位進行したころ、右山田は、玉川橋の前方二六メートル位の地点を走行してくる訴外渡辺運転の白いライトバン(普通貨物自動車、マツダルーチエ、福島四ひ七、六六八号)を認めた。

訴外渡辺は、被告会社の用務のため、勿来の現場から被告会社に帰るべく時速五〇キロメートル位で運転していたが、衝突地点から約五七・五五メートルの地点で、訴外国井らが二名いるのを発見し、危険だなあと感じながら進行していたところ、対向するタンクローリー車の直後から、突如、亡義弘がかけ足で横断を初め、道路の中央線をこえてきたので、急ブレーキを踏んでハンドルにしがみついたが、及ばず、亡義弘に衝突し、脳内出血のため、同人を死亡するに至らしめた。

そして、被告は、本件自動車を自己のために運行の用に供する者であつた。

以上のように認めることができる。証人渡辺東吾の証言には、同人は、対向車の死角に妨げられて亡義弘を事前に発見しなかつた旨の証言が存するが、〔証拠略〕にてらし、たやすく措信することができず、ほかに、右認定を左右するに足りる証拠はない。

被告は、訴外渡辺東吾は無過失であると主張するが、前記認定事実のように、前方に、注意能力の低い幼児や少年を認めた場合には、これらの者は、いついかなる行動に出るかも測り知れないので、運転者は、これに対して最善の方法を尽くして、不測の事故発生を防ぐ義務があるのであつて、徐行ないし警音器も吹鳴せず、まん然と同一時速で進行した訴外渡辺に全く過失がないということはできない。

そして、〔証拠略〕を綜合すれば、次のような事実を認めることができる。

亡義弘は、事故当時満七才であつたが、本件事故に遭遇しなければ、満二〇才に就労して、満六〇才まで稼働しうるところ、労働者の平均賃金は一ケ月五〇、〇〇〇円で、二五、〇〇〇円の生活費を要するから、月額二五、〇〇〇円の純益を得、これをホフマン式により、現在の時価を計算すれば、25,000円×12×(25.53-9.82)=4,713,000の得べかりし利益を喪失し、同額の損害を蒙つたこととなるが、原告らは、亡義弘の相続人で、各二、三五六、五〇〇円の損害賠償債権を相続により取得した(被告は、亡義弘の得べかりし利益の喪失による損害額の算定に当つては、所得税その他の租税額を控除すべきであると主張するが、税法上損害賠償金は非課税所得であるとされているからといつて、損害額の算定にあたり、租税額を控除すべきものでもないから、右主張は採用しない。)。

また、原告小松弘は、亡義弘の葬祭費として、二三五、四〇〇円、墓碑設置費として、二五〇、〇〇〇円を支出し、以上は、社会通念上、相当のものと認められるから、同額の損害を蒙つたこととなるが、被告から、一五〇、〇〇〇円の支払いを受けたので、三三五、四〇〇円の損害を蒙つた。

さらに、原告らには、四人の子を有したが、亡義弘は長男で、一瞬にして、これを失つた原告らの精神的苦痛に対しては、各一、五〇〇、〇〇〇円をもつて、慰藉されるのが相当である。

ところで、被告は、被害者側にも過失があつたから、これを斟酌すべきであると主張するところ、民法第七二二条にいわゆる過失とは、単に被害者本人の過失のみでなく、ひろく被害者側の過失を包含する趣旨と解するを相当とし、また、被害者に行為の責任を弁識するに足る知能が具わつていることを要せず、事理を弁識するに足る知能が具わつていれば足りると解すべきところ、前記認定事実のように、亡義弘は満七才(小学二年生)の男子であつて、事理を弁識するに足りる知能を有しながら、道路の左側を歩行し、左方の安全を確認することなく、突然、道路を駆け足で横断して、道路中央線を越え、訴外渡辺の運転する車輛に衝突したというのであるから、重大な過失があつたことは明らかであるが、しかし、原告ら本人尋問の結果によると、原告らは、亡義弘に対し、つねづね交通事故に対し、注意を与えていたというのであつて、いまだ、同人らに過失があつたと認めるに足る証拠はなく、亡義弘に過失があつたことを斟酌し、結局、被告は、自賠法第三条により、原告小松弘に対し、二、五一五、一四〇円、原告小松初枝に対し、二、三一三、九〇〇円及びそれぞれこれに対する本件不法行為の翌日である昭和四四年七月二七日から支払ずみに至るまで、年五分の割合による金員を支払う義務のあるところ、原告らが、自賠責保険から各一、五〇〇、〇〇〇円の交付を受けることは、原告らの自認するところであるから、これを控除し、被告は、原告小松弘に対し、一、〇一五、一四〇円、原告小松初枝に対し、八一三、九〇〇円、及び右金員に対する本件不法行為の後である昭和四四年七月二七日から支払ずみに至るまで、年五分の割合による金員を支払う義務があるといわなければならない。

然らば、原告らの本訴請求は、前記認定の範囲において、正当であるから、これを認容し、その余の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第九二条第九三条を、仮執行の宣言について、同法第一九六条第一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉川清)

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